プロフィール

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夫婦の旅行歴

妻も夫も独身時代から旅行好き、海外旅行歴はかれこれ30年以上になります。特に、結婚後は、マイレージプログラムを活用した旅行を楽しんでいます。

初めて海外旅行に出かけたのは、17歳の夏休み。ロサンゼルスで3週間ホームスティしながらサマースクールに通う短期留学でした。この経験をきっかけに英語に目覚め、大学時代は国際電話オペレータの仕事をしながら英語、中国語、韓国語の基礎を身に着け、年1-2回海外旅行へ行っていました。オペレータ仲間は、帰国子女の学生のほか、フリーランスで翻訳や通訳、語学教師などをしながらアルバイトしている方など、海外に縁のある方ばかり、海外での生活や休暇の旅行話などを聞き、多いに刺激を受けました。

大学卒業後一般企業に就職、旅行頻度は変わらず若い頃は年数回の海外旅行を楽しんでいました。特に、20代後半からの数年間は、香港好きの職場の先輩と意気投合して年2回の香港通い、30代半ばにマイレージプログラムの上級会員の資格を得てからは、旅行先はアメリカとアジア中心に変わり、現在も、上級会員維持を念頭にプランニングして旅行に出かけています。

これまでの渡航先は、アメリカ、アジア以外に、ヨーロッパ、南アメリカ、中東、オセアニアなど。アメリカやアジア、特に香港とシンガポールには数えきれないくらい通ったので、最近は、目先を変えカナダやオーストラリアに行くなど、訪問国を広げるようにしています。

マイレージプログラムの上級会員維持のためには、それなりに搭乗する必要があったことから、年間旅行回数は多い時で年12-13回、30数年の海外旅行で、通算渡航回数は恐らく200回を超えているのではないかと思います。仕事柄、出張は国内ばかり、海外出張は過去にアメリカへ行った1回だけ。200回超えの渡航はプライベート旅行です。

パスポートは10年有効のものにスタンプページを増補してもらったものを使っていますが、年間10回以上行くと10年でパスポートのページがほぼスタンプで埋まってしまいます。最近は入・出国で自動化ゲートを通ることも増えスタンプの押印が少なくなりましたので、今後は増補の必要がなくなったかと思いましたが、海外旅行先での携行品破損で保険金を請求する際、海外渡航証明でパスポートにスタンプがなくて苦労した経験があり、自動化ゲートの時もスタンプをもらうようにしています。

参考までに、パスポートの増補手続きは意外と簡単、手続きと仕上がったパスポートについては、以前のブログで紹介しています。

初めての海外旅行は、社会人になってから。年末年始の長期休暇で出かけたアテネ・ローマが最初の旅行先。当時、ヨーロッパ等長距離路線は日本からの直行便がなく、アンカレジ経由の北回りか、アジア各地を経由する南回りの長いフライトしかなく、今は亡き「サベナベルギー航空」の北回り路線を利用しました。

その後、数年に1度、長期休暇でケニヤやパラオなどに出かけワイルドな旅を楽しんできました。2000年以降は中国、香港、アメリカ、メキシコ、コスタリカなどへの海外出張が度々あり、仕事とプライベートとあわせた通算渡航回数は、夫も200回を超えています。

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マイレージプログラムとの出会い

マイレージプログラムとの出会いは、妻も夫も1990年代のこと。アメリカの航空会社で始まった顧客囲い込み施策が活発化し、日本在住者にも入会資格が拡大された時期です。

夫婦ともに海外旅行の航空券を購入した時に旅行会社の方に勧められたのがきっかけでした。

入会した90年代は、カード上の会員名や会員番号は、エンボス加工されたものでした。時代を感じます。

1993年秋、1週間休暇でアメリカ西海岸へ出かける時に入会しました。当時アメリカ西海岸行きの格安航空券は、ノースウエスト航空かユナイテッド航空の2社が主力、日本航空の航空券はとても高く、若い社会人には手が出ませんでした。2社を比較して1,000円安かったユナイテッド航空を選び、当社のマイレージプログラム「マイレージプラス」に入会したのが始まりです。この時、ノースウエスト航空を選んでいたら、(大げさですが)人生が変わっていたかもしれません。

マイレージプログラムに入っていると、航空券を選ぶ時に、同じ価格であればもちろんのこと、価格差が小さければ、加入しているプログラムの航空会社にしてしまうもの、それ以来、ユナイテッド航空中心、スターアライアンス結成後はアライアンス内の航空会社を選んでおり、完全に囲い込みされてしまいました。

出張時の航空券は会社が最安値で手配するルールから航空会社が選べないため、特定の航空会社に限定せず、幅広く複数社のマイレージプログラムに加入していました。そうはいっても、日本企業が選ぶ航空券は日系が中心、プライベートで石垣島に行く機会が多かったので、当初は日本航空のマイレージプログラムを活用するのが中心、上級会員になるほどの頻度で出張はなく平会員のままでした。有効期限の問題もあり、特典旅行を活用するよりも、JALクーポンを使うことが中心でした。

結婚後、妻が保有していたマイルを使い、ユナイテッド航空のファーストクラスでホーチミンへ。(当時は、ユナイテッド航空が香港経由でホーチミン線の運航をしていました。ファーストクラスが4万マイルで発券できた時代です)夫はこの時が初めてのファーストクラス利用。実はビジネスクラスも利用したことがないまま、いきなりファーストクラスを経験。マイルでササッとファーストクラスの予約を入れた妻をみて、マイレージプログラムの威力を知り、夫もマイレージプログラムの世界へ。

妻がユナイテッド航空のマイレージプラスを中心に積算していたことから、ユナイテッド航空のマイレージプログラムに集中して積算することに決め、現在に至っています。

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マイレージプログラムのステータス

夫婦ともにユナイテッド航空のマイレージプラスに加入してからかれこれ25年以上になります。現在は、スターアライアンス系航空会社を中心に利用してマイル積算をしています。

四半世紀でマイレージ会員証のデザインも随分変わりました

1993年加入後、長い間平会員の時代が続きました。社会人の身分では、まとまった休暇が取れるのは年1回程度、連休を使っても遠くに行けるのは年1-2回、距離が稼げるアメリカ東海岸に出かけても年間積算マイル数は3万マイルが上限でした。

1999年、年1回の長期休暇の時期がたまたま1月にずれ込み、1-12月のカレンダーイヤーで判定するマイレージプログラムの資格判定で搭乗マイルが5万マイルを越え、2000年に初めてプレミアゴールド資格を取得。この時、搭乗前に利用できるラウンジの便利さ快適さにはまり、プレミアゴールドを目指して旅行するようになりました。

その後、インボランタリーでアップグレードされる経験などがあり、さらに予約の自由度が高くアップグレード確率があがる上級資格取得を目指したくなり、2001年はプレミア1K資格を取得、仕事が繁忙で旅行できなかった2か年を除き、継続してプレミア1K資格維持しています。1K歴はかれこれ15年以上になりました。

ライフタイムマイルは2012年にコンチネンタル航空との統合時に100万マイルに到達、晴れてミリオンマイラーになりました。100万マイル達成は、統合時の特例措置であっけなく達成しました。その時の事情は以前のブログで紹介しています。

現在は160万マイル超え、ダブルミリオンまでもう一息です。

結婚前からユナイテッド航空のマイレージプラスに加入していたものの、ほとんど積算がなく、会員番号も失効しているような状態。ホーチミン旅行でマイルの世界に目覚めたものの、当初は、普通の旅行や出張で積算するだけで、資格維持のためにわざわざ旅行に出かける気持ちにはならず、週末のマイル積算旅行に出かける妻を自宅から見送っていました。

ある時、「妻は週末旅行で何をしているのだろう」と興味を持ち、週末1泊3日のニューヨーク旅行に同行、「飛行機乗っているのも楽しいし、搭乗前にラウンジでくつろげるのは楽、現地1日でも観光ができるんだ」と充実した旅行であることがわかりました。「自分ひとりで出張に行くときにラウンジを使いたい」という動機から、妻のマイル積算旅行に同行するようになりました。

当初目指していたのは、出張の時にラウンジが使えるよう「プレミアゴールド」の資格。ラウンジさえ使えればよかったので「プレミアゴールド」で充分だったはずですが、アメリカ旅行をしている時にスケジュール遅延などの様々なトラブルに遭遇、妻が「プレミア1K」であると、代替便の用意がされていたり予約変更に柔軟に対応してもらえたりと、メリットが多いことがわかり、自分も「プレミア1K」を目指すことにしました。

それ以来、妻と一緒にマイル積算旅行に出かける=プレミア1Kで、プレミア1K歴は10年以上になりました。現在、ライフタイムマイルは96万マイル。ユナイテッド航空運航便に残り4万マイル搭乗して早くミリオンマイラーになりたいと日々精進しています。

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最後に

ブログ記事のアップは週末中心に行っています。

旅行情報などは直後に掲載できないこともままありますので、掲載時点で最新のものでない可能性があります。また、ブログに記載している情報などは、正確性を期して書くように努めていますが、情報の正確性を保証するものではありません。その点ご留意の上ご利用くださいますようお願いいたします。